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日直地獄

小学校では事件が起きる

PS3用ユーザーコミュニティ「Home」の動画を見て、雑感

PS3用ユーザーコミュニティ「Home」を見た。
ゲームを統括するパラメーターを持ったキャラクターを作るという事なのだろうか?これ結構新しいんじゃないのかしら。うまくすると、まるで千年女優ような世界観を築くことが出来るかもしれない。ある時はRPGに登場、ある時はFPS、ある時はスポーツ選手、またある時は第4次スーパーアバター大戦の駒。

 アバターだけでなく、自身のプライベートスペースもカスタマイズ可能となっており、家具や美術品なども設定できる。さらに、スペース内でPS3のHDD内の写真や動画などのコンテンツをプライベートスペースに公開可能で、それらを元にしたコミュニケーションが行なえる。(http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20070308/sce.htm

箱庭ゲームの楽しさって自分で作ったものを見てニヤリとすることだと思うですよ。だから人の作ったものを見せられても凄いとは思えどもニヤリとはしないわけです。ゲームの中で人の家にお邪魔して家具や美術品見て「すてきな家具ですね」なんて事を言うはずが無い。こいつ組み合わせがすげえってのはあるかもしれないけど。


〜〜〜〜〜〜以下 人間にラップをかけるという夢想〜〜〜〜〜〜


人間は何に愛着を宿しているのか、確たる答えは無いけれど私は空間を占有しているって事が必要条件なのではないかと思う。空間が無限であり0でもあるゲームの中のものには愛着がもてない、意味が持てない、情報が持てない。ドラえもんのおばあちゃんの思い出に出てくるクマの人形は決して出てこない。
荘子に薪の話がある。一本一本の薪は燃え尽きるけれども、その火は燃え移り尽きることが無いと言う話だ。これを形あるものはいつかは死ぬが、精神・思想は伝わって永遠に滅びないと解釈する。物には火という精神が宿りやがてその固体は燃え尽き死を迎える。人間を動かす原動力となるのはその火なのではないか。「データの家具」という永遠不朽のものに愛着が持てないのは、そのものに関与できないからではないのか。
それをどう回避しようかと考えてみた。あ、本とか音楽とか映像とかなら情報のみでも意味を持てるんやないかしら。でも著作権とかで貸し借りとか出来ないだろうからダイナミズムが無くなっていみねーなー。
まあなんにしてもインプットデバイスが貧弱すぎて大きなことは出来ないだろうな。(増やしすぎると難しくなって敷居を上げる事にも繋がるのですが)

人生は神ゲーだ、は置いといて人間にラップをかけてそれをネットという場に持っていって遊ぶという思考は新たな楽しみを含んでいる、と思うのです。