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日直地獄

小学校では事件が起きる

エヌ氏的理性

 講義で証拠主義的理性という言葉でもって現代の世論(というか考え方)の危うさを表していたのがちょっと気になった。権力と政治の流れと変化していく世論を組み合わせることで、危うさの妥当性を描き出そうとしていた。が、どうにもこの意見はちょっと外に持ち出せば批判に耐えうるものではないと思うし、どこか現代左翼(?)の精神はこの言葉に表されているような気がした。
 たしかに日常生活において証拠主義的理性を持ち出せば、そりゃ殺伐としてしまって生きて行けないと思いますが、そのことによってその理性全体が否定されるわけにはいかんのです。
 ただ証拠主義的理性=法律と考えると少し気持ちはわかる。それは、法律を守ること自体が意味に成ってしまい、法律本来の意味が無内容になってしまった場合の不正義さと同じように大枠で道を誤ってしまうかもしれないという危惧であります。そのことは肝に銘じなきゃならんとは思います。


 村社会から抜け出し都会に出る時には、ドライな都会的理性が必要になってくるわけです。日本村から世界都に出るときにもこのような理性が必要になってくるはずです。そう考えると証拠主義的理性の否定は大局的にディスコミュニケイションを生んでしまうんじゃないかなと思いました。