日直地獄

小学校では事件が起きる

Tamorization 編集長にインタビュー

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Q.この写真を見て何を連想されるだろうか?

A.この写真には魔法がかけられていて、おそらくほとんどの人が同じ人物を連想することとなるだろう。その答えは「タモリ」である。


前言撤回。
タモリ」を連想する理由は、もちろん魔法などではない。背景には、日本人に埋め込まれた「タモリ」の記号性が存在しているのではないかと僕は夢想する。この写真は、何の変哲もないバス停の上にサングラスを置いただけで発露しはじめる「タモリ」の記号性を表現したものなのである。

 私は、世の中のあらゆる物には「面白さのヘソ」のようなものがあって、それを掴んだとき一見つまらないものも劇的に面白いものに変化すると思っている。そして、タモリさんはそれを発見するエキスパートなのだ。
 いや、むしろそのヘソを「タモリ性」と呼んだってかまわない。なぜならば、こんなつまらない写真も、サングラスを置いただけで「タモリ」を媒介に劇的に面白く――。(空間詠一)





眼鏡沢かけ彦編集長にTamorizationやタモリについて聞いてみたよ!
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なぜこの本を作ろうと思ったのですか?

 みんなタモリ好きじゃないですか。さすけさんとか、あと誰だっけな。タモリ創作を、以前からやってる人はいたんですね。えありさんはブログのカテゴリにタモリあるし、タモリって学校の教科にあてはめられないから独立した科目にしたんですよね、きっと*1
 こないだぼくブックマークしたんですけど、タモリ創作をまとめてるエントリも、だれかやってましたよね。そういうのを気にしてじゃないんですけど、合作部でもタモリ創作をやろうと思ってちょっとやってるんですね。じゃあ、合作部*2キーワードにTB送るような感じで、合作して本にしたらいいんじゃね、って思ったんです。
 面白くなりそうなのはわかったし、それだけだったらウェブでやってもよかったんだけど、それを本にしましょうっていう意欲につながる直接的な動機は、タモリをミーハー的な視点でね、クイックジャパンは別としても、まあタモリコージー冨田的に消費する流れって、ちょっとあったじゃないですか。でもみなさんご存知のように、タモリって考えればめちゃくちゃ深い。虚無に引き込まれるような感じする。こういう視点があるよっておもしろおかしく、わかりやすく伝えたかった。で、ウェブの外しかしらない人にもアプローチしたかった。
 タモリ的な視点で世界を見るっていうこととかこのへんは、座談会にこめてあるかな。そんなおもしろいタモリなのに、創作にいかしてない。いかされてなかった。わずかな人しか、テーマとしてタモリが存在することに気づいてなかった。プロどもも来るじゃないですか。文学フリマ。うわー、いままでタモリについて書かなかった俺はバカだ! そうおもってほしいんです。ほかの同人誌つくってるやつらとかに。この本を見て、タモリ創作、ひいては創作全般へのモチベーションを持ってほしい。


見所などを教えてください

 この企画に参加したかったな、この本に寄稿したかったな、そう感じてほしいなーと思ってつくりました。不満な点はありますが、値段相応なものにはなったんじゃないかなとおもいます。ちなみに500円ですね。環境的に、時間的にできることはやりました。

 なるべく、バリューをつけようとおもって。まめちしき*3だって、すごい労力だったんですけど、まめちしきがあることで、人によっては興味がわかなかった、ほかのページも開きたくなるかなって。あと、読みやすいはずです。かっこいいデザインって求めてないんだけど、読みやすいとは思います。 小説の文庫本ほどではないけど、たぶん新書くらいの情報量は入ってんじゃないかな。結果的にほかの同人誌よりはかっこよくなってますけどね。中の上くらい?

 で、小説にバリエーションがある。みんながタモリについて抱いてるイメージ、共通してるとこもあるけど、個人的な、あくまで自分だけが抱いているタモリ観ってのがあるのね。これは非常にプライベートな体験なんです。幼少時の体験だったりしてね。で、それがその個的なタモリ体験にもとづくタモリ観が、作品にバリエーションを与えています。そのことで、非常に多面的なタモリ像を描けているんですね。本全体で、多面的なタモリを描いていることになってます。くしくも、前から順番に最後まで読むと、すごい感動があるはず。

 タイトルにタモリが入っているのは、やはりキャッチーさですね、手にとってほしかったから。
タモリが嫌いな日本人なんていません!」
 でも二次創作じゃないんだぜ、ってのは、ぜんぶ読んでもらえればわかります。一回吸収したのちの、各自の脳内タモリなんで、それはもうタモリ本人じゃなく、「タモリ性」でしかないんですね。で、そのタモリ性を通すと、世界を描けるなあ、世界が理解できるなあ、っていう感じです。


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表紙のデザインについて

 表紙は、グラサンをかけた石膏像の写真を、点々に加工してつかってるんですね。グラサンをかければ石膏像でもタモリに見える。そういう意味が、ひとつ。つまり、タモリの記号性ですね。

 ふたつ、それを点々であらわすこと。それは、「タモリそのものでなく、細部の集合をタモリと認識している」ということと、「各作品が描いたタモリ性、その集合が、タモリの総和となっているんだよ」という意味を持っています。
点のひとつひとつが、個人が認識するタモリ。それらをあつめると、みんなの考えてるコモンセンスとしてのタモリになる。そんな感じ。

本を作る前と作った後で、編集長のタモリ観に変化はありましたか?

 しばらく『いいとも!』見たくないですね。作業中、タモリがテレビに出てるときはずっとテレビつけてタモリ見てましたから。さきほど、それぞれの点が個人のタモリ観で、総体としてのタモリは、それの集合である、と言いましたが、この視点は、たぶん作業中にでてきたものですね。
 それまでは、各人共通のタモリ性っていうのを抽出してタモリの本質にせまろうとする、顕微鏡で分析するようなアプローチだったんですけど、地上にいるみんなの心の中のタモリ(=地上の星)を空から俯瞰してその姿を描こう、そういう方法にシフトしていった。これは、編集作業がわたしにもたらした変化です。

その変化について詳しくお聞かせください

 最初はね、「タモリの結晶」ができると思ってたんですよ。「タモリの結晶」っていうのは、タモリ性っていうのがあるとして、それを単純な言葉や式で表現できるんではないかということです。単純なほうが美しいってアインシュタインが言ってるような。それより、雑味がはいっていてもいいから、各人の心の中のタモリの集合を描いて、タモリ性を表現したほうがよかろうと。

 「タモリの結晶」という考え方でいくと、タモリ含有量の高いタモリが、森田一義になるんですよ。そういうアプローチもあるけど、それはひとつの考え方にすぎない。そういうので統一するよりは、タモリWikiの「惜しくも使えなかったタモリ」項にいっぱいあるように*4タモリの多様性をいかした方が面白いのではないかと。

最後に一言

 こういうこと言ってると難しい本じゃないかっておもわれたらシャクなので、わかりやすい、よみやすい、バリエーションある本ですよ 、と言いたいです。

告知ムービー

無制限婦人(id:llppさん)がやってくれました。やたらとかっこいい告知ムービーが公開されています。

告知ラジオ

http://www.ustream.tv/recorded/828222
眼鏡沢かけ彦、奈々篠権平、空間詠一の3名でお送りする告知ラジオです。

文学フリマ開催日時とか場所とかなんかは

http://bwn.g.hatena.ne.jp/keyword/Tamorization
このページを見ると良いんじゃないかな。

*1:http://d.hatena.ne.jp/AirReader/20070304/1172946358

*2:http://collaboration.g.hatena.ne.jp/

*3:http://f.hatena.ne.jp/AirReader/20081025234701 を参照のこと

*4:製作中は、執筆者同士がクローズドのWiki内でブレーンストーミングしていました。ちなみに「惜しくも使えなかったタモリ」ページとは没ネタ集のこと。