日直地獄

小学校では事件が起きる

捏造問題 その根底は

  • 効果が出たときだけにしか目が向けられないということ → 効果が出ないのは自分に合わなかった、だから苦情なし
  • やらせ側の情報特権意識 → そんなものは存在せず必ずどこかからばれる
  • 製作チェック体制 → 見やすさや視聴率を上げるための視点からのチェックだった
  • 製作を始めたら止まれない
  • テレビ局と製作会社の上下関係 → 労働条件など製作会社のモチベーションの低下
  • 単独スポンサー、スポンサーになる意味 → 企業イメージに沿うもの→視聴率至上主義からの脱却
  • 総務省の動き → 放送界全体の問題、放送の自由に関する問題に発展

なんとなく(かなり)(強引に)(適当に)まとめ。
なんだかね、扇動したい側と楽したい側の思惑が一致しちゃったんだよね、きっと。ただ実際問題これだけ情報が溢れていて専門化されると、本当の事なんてわかりっこない気がしてくるのは確か。特に一つの情報源しか持てない人々には真偽を判断させるのは非常に酷だろうと思うのです。ただしそれは妄信することとは違う、疑うことは誰でもできるのだ。そう、田嶋陽子がよく発する「もう何十年も研究されてきているんですよ」という言葉を思い浮かべてみれば、自分で考えてみようという気が起きるというものであります(笑)。

参考になるかも

カーゴ・カルト・サイエンス」
(前略)南洋の島の住民の中には、積み荷信仰とも言えるものがある。戦争中軍用機が、たくさんのすばらしい物資を運んできては次々に着陸するのを見てきたこの連中は、今でもまだこれが続いて欲しいものだと考えて、妙なことをやっているのです。つまり滑走路らしきものを造り、その両側に火をおいたり、木の小屋を作って、アンテナを模した竹の棒がつったってるヘッドホンみたいな格好のものを頭につけた男(フライトコントローラーのつもり)をその中に座らせたりして、一心に飛行機が来るのを待っている。形の上ではなにもかもがちゃんと整い、いかにも昔通りの姿が再現されたかのように見えます。
 ところが全然その効果はなく、期待する飛行機はいつまで待ってもやってきません。このようなことを私は「カーゴ・カルト・サイエンス」と呼ぶのです。つまりこのえせ科学は研究の一応の法則と形式に完全に従ってはいるが、南洋の孤島に肝心の飛行機がやってこないように、何か一番大切な本質がぽかっと抜けているのです。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)


より一節を引用