日直地獄

小学校では事件が起きる

ネット良イクナイ!と子供に言うものではない

これからネット参入する子供
ネットには、子供では対処できない世界が待っていると考えたほうがいい。
【2ch脳】リアルで2ちゃんねるネタを持ち出す子供たち

子供にやっちゃいけませんと言えば言うほど子供はますます気になるものだから。おとなのふりかけのCMを見て御覧なさい、それだけで十分な説得力が(ない)。ネットだって2chだって玉石混淆であることは間違いないけれども、玉と石のどっちが多いかなんて言うまでも無い。ネットと実社会(実社会にもネットは含まれているけれども。誰かネットを含まない生活って意味の単語を造ってくれ)が圧倒的に違うのは、誰か何かが割り込む可能性と偶然性だろうと思う。やっぱり介入するためのコストが違うし、実生活の時間と空間の縛りはかなりのものがある。

2chがそのまま受け入れられることに凄く違和感を持つということは、殆どの人が実生活のカウンターとして遊んでいると言うことが大きいのではないだろうか。2chで遊ぶ大人たちはカウンターとして自覚的に社会性を排除し戯れているのに、バックボーンが無い子供たちにはそれがカウンターであることを理解できないのである。

私が思うに子供に対して重要なのはフィルタリングではないかなと思う。フィルタリングを乗り越えた上でエロや怪しげな情報にたどり着いたとしてもあまり問題にならないのではないだろうか。子供がこの情報は隠されている事を敏感に感じ取った時、その情報は本来良くないものなのだと理解されるだろうからである。恥ずかしながら、私が18歳未満のときは「貴方は18歳以上ですかYes!NO!」という果たして意味があるのか無いのかはたまた行政的なものなのか知らないけれども、そんな常套の仕掛けにすら少し胸を高鳴らせてしまった(ただ単に私がナイーブ過ぎたのかもしれないが)。偶然見てしまうことは意思を持って見るよりインパクトは強く、さらに偶然が常態化されてしまうほど頻繁にいかがわしい情報が飛び込んでくるネット世界は大人でも戸惑うほどである。

こんなことでは、茹だるような真夏の昼下がり、学帽詰襟の少年が窓のサッシに張り付いて懸命に中を覗いている。彼の憧れのお姉さんの肌の色が網膜に焼きつくと同時に、彼は達してしまった、みたいな牧歌的な風景が消滅してしまうではないか!あれ、とっくに無い?映画「少年時代」だけ?


と、とにかく私は、子供がフィルタリングを突破した後に情報に触れたとしても何故制限していたのかを自ら理解してくれる可能性に賭けたいのだ。