日直地獄

小学校では事件が起きる

ミニマムからマキシマムへ

みんなのたちば
を見て読んで。


長い間ネットでサイトを見て文章を読んで、この人は頭がいいだとかこれは面白いだとか色々感想を持って、凄い人だと思って引け目を感じ動くことをやめた時何かを失っている。何を引け目に感じているのか。マズローはこう言ったらしい。「創造的行為を目の当たりにして、まるで奇跡であるかのように驚嘆するのはやめるべきだ」と。このブログはこれに対する一つの回答ではないかと思えた。


「みんなのたちば」はネット本来の姿を明確に示しているように思えた。無名同士の対話、ファミレス小宇宙が読める。人がいてまたそこに人がいて生活がある。そこには内輪が内輪でなくなる力がある。宇宙的に見れば地球上の話はすべて内輪ネタである、これは逆説的に内輪ネタなんかないよ、という意味だったのだ。


僕は忘れていたのだ、周りに人がいることを。マキシマムからミニマムにアクセスすればどうしても大きな顔になってしまう。そのせいでミニマムも画一的な世界になることもあるだろう。それじゃ面白くないよ。ミニマムな所から自分を見つめなおすことが大切なのだ。


OGSが知り合いだからこんな風に感じるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。この先どうなっていくか分からないけど、とりあえず僕には影響を与えた。ありがとう。やる気が出ます。


ここまで書いて気付いたけどちょっと褒めすぎだ!