日直地獄

小学校では事件が起きる

自粛ムード

ひぐらしアニメ自粛について怒りと罵声と抗議が飛び交っているようです。斧殺人とひぐらしを関連付けた番組(ムーブ)に対する抗議が一部で行われているようですが、やっぱりテレビ局や番組に抗議して解決するような浅い問題ではないことは多分抗議している人もお分かりのことだと思われます。が、集団で抗議行動をとったり暴言を吐いたりすることは、集団の力で屈服させるという意味において同じ轍を踏んでしまっているのです。


ムーブは捏造だと言われているようですが僕はそういう風には見えなかったです。ただ単純にひぐらしのことを誰も知らなかったやってなくて聞き伝てでそのまま番組を作ってしまったという印象でした。捏造というより誤認と言った方がしっくり来ました。確かに、あんな一文でまとめられてはたまったものでは無いし腹が立つけれども、よりセンセーショナルに報道を行うために精査する必要がないと思ったんでしょう。(センセーショナルというのは「またアニメか。またオタクか。」というイメージを繋げてもっともらしく見せる事。)(もちろんメディアは不正確な事実を不正確なまま報道してはいけないと思う。もし乗り込めるなら乗り込んで調べなければならない。その点森達也はすごかったのだろう。)


私は、問題視されなければならないのは放送禁止歌同様の本質をすっぽ抜かした自主規制であると思っています。だから今回の件で言えば、本当に批判すべきは「ひぐらしのなく頃に」をただひ人を殺していくかのように紹介した事ではなく(腹立たしいが)、軽々しく自主規制を行うメディアとその慣行に対してなされるべきじゃないかと思いました。ムーブの報道と自主規制の連関も明らかではないし、自主規制よって不利益を被るのはアニメ・マンガだけではなく、音楽、芸術、言論など全てに関わってくることだからです。必要なのは偏執的な抗議ではなく、冷静にジャンルを超えて自主規制を考えることなんではないかと思いました。
もちろん議論はずっと続けられ進展はほとんどないという絶望的な状況を打破するための抗議という線もあるけれど、僕には考えて喋るくらいしか手段がないから。




                    • -

しかしまあ、こんな適当な報道をされると、他の報道もイメージのまま断定的にやっている事がたくさんあるのかもしれないなあと、更なるメディア不信。ムーブの市営バス事件とか面白かったんだけどなあ、残念だ。