日直地獄

小学校では事件が起きる

最近一番空気を読めていなかったのは小島よしおじゃなかったろうか?

あの事件は自分の中でどう解決しようかとても悩んだ。なぜか。僕がダチョウ倶楽部が好きで、小島よしおのことは一切知らなかった。しかし小島よしおの行為は非常にファックり込んでいて心地がよかったのだ。ここに僕の葛藤があった。


ダチョウ倶楽部の芸は様式と良きマンネリズムによって成り立っていると思う。それに対して小島よしおは「そんなの関係ねー」を武器に様式とマンネリをぶち破ってしまったのだ。少し雑だがここに空気作成側と空気を読めない側という対立が見える。


聖域化してしまったダチョウ倶楽部の芸には乗っからなければならないという空気があった。そして小島よしおは空気が読めなかった(もしくは読んで逆に走った)。ではどちらがお笑いとして正解だったのか。僕は小島よしおだと思った。多分世の中も小島よしお擁護な感じじゃないだろうか(憶測ですが)。


かつてダチョウ倶楽部はウルトラクイズのような膨大な無茶の中に埋め込まれ、いつもと同じ無駄のない動きをすることで、過激さの間に安心感と笑いを提供していた。緩急で流れを作り出す。整腸剤のような役割である。しかし現在ではダチョウ倶楽部の芸をやる為に場が提供されているようにしか思えない。緩緩ではだれてしまう。下痢をしてこその整腸剤であって、下痢もしてないのに飲んではいかんのです。僕は(あの場での)ダチョウ倶楽部の芸は空気は淀んでいたんだと思う。大局的に見れば小島よしおは空気を壊したというより風穴を開けたと言った方がいいのではないだろうか。



『空気』はコミュニケーションにおいて大切なものだと思う。しかしながらちょっと外に出てみればそことは別の空気があったりする(貴重な空気もあるし、薄汚い空気もある)。上記は芸人の話で一般化するのは気が引けるけれども、僕は一般の間でも同じような事が多々起きてるんじゃないかな。本当のコミュニケーション力はイレギュラーをいかに包み込むかということだろう。外部化して安心するのは芸がなさ過ぎる。余裕がないのかなあ。


http://d.hatena.ne.jp/AirReader/20061220/1166600204